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子供の時足尾にすんでいめました、父が構内に勤めていました、なつかしく足尾です、すすむあさ
まさにこの数年間を足尾に暮らしておりました。ますやのコロッケは美味しかったなあ。
1:40 ご想像の通り、役宅です。鉱山の事業所長・部長・課長クラスの社宅です。2:36 駅構内で貨車の入替に使われていたガソリンカーですね。5:09 メーデーではなく、山神祭の山車と思います。5:52 多分、三養会という鉱山の生協店舗跡と思われます。11:34 本山小学校ですね。
わたらせ渓谷鉄道の開通式に足尾の祖父と電車に乗りました。当時小学生低学年でした。足尾町の移り変わりをみて、もっと足尾のこと知りたいなと思いました。今度足尾の祖母の家に遊びに行った時に、本山奥の方にも探検に行こうかな。
貴重な資料をありがとうございます。鉱山神社はいまはキレイなので、昔から大切に守られてきたのかと思っていました。一時期はほぼ荒廃状態だったんですね。
(栄枯盛衰)若い頃から,足尾銅山には興味があり,あらゆる書物を読みました。現地を訪れ散策致しました。繁栄当時,夏の,盆踊り祭りを,行政ではなく会社が行っていたことを,町を離れる時に,皆さんが知り,大変,驚ろかれたそうですね。(国敗れて山河あり...)思いが重なります...。
芦尾周辺の山も今はだいぶ緑が増えてきましたね。昔は周りの山はつるっぱげでしたが。
足尾は探索しましたが、今もところどころ この動画の面影が残っていますね!3年ほど前に神社行きましたが、鉄の鳥居が今でも立っていますが、祠は潰れそうな状態でした。
同県民として凄く興味深く拝見させて頂きました。
1980年代の足尾を見れてとっても嬉しい足尾が好きで何度を足を運んでます段々人も建物も減り寂しいですが足尾好きな町ですアップありがとうございます
0:50
四駆で松木沢に渓流釣りに行ったことがありました。今は関係者以外立ち入り禁止だそうです。
Gメン75で望月源治との決闘シーンの撮影に使われた。
古くは、荒涼とした松木の風景を「人間の条件」に使ったと聞きました。また、旧国鉄足尾線は森繁久彌がC12の機関士をした「各駅停車」に使われましたね。森繁が来足したとき、町では大変な盛り上がりでした。もっと前では、夏目漱石の「鉱夫」は足尾がモチーフだそうです。
素敵な作品を観させて頂きました。市川組が創った横溝モノに出てくるような路地には 袴姿の名探偵が歩いていそうです。彼には冬枯れの風景が似合います。そして圧巻の鉱山住宅跡…。平安の頃までは まだ火葬は少なく…亡くなった人は「野捨て」と云って ただ野に置かれ 土に還されたそうですね。そこから「野辺送り」と云う言葉が生まれたようですがまさに鉱山住宅跡は 暮らしそのものの野辺送りを観るようです。秋の路傍の植物として ススキとセイタカアワダチソウが よく対比されますが両方とも綺麗なんですよね…秋は。ただ冬になると その差が歴然とするように思ってます。セイタカアワダチソウが 鈍い灰色の綿毛をまとわり付けた茶褐色の茎を しおらせて行くのに対しススキは 冬どころか春になって翌年の芽吹きがあるまで あくまでも白く 凛として風に揺れています。野辺送りに相応しい華のように思います。46nogama様 美しい映像をありがとうございました。
この前、寂れた足尾銅山社宅を見てきましたが、この撮影時より住人は減っているようでした。一つの時代を終えた町やや不気味ささえ感じる町でした
子供の時足尾にすんでいめました、父が構内に勤めていました、なつかしく足尾です、すすむあさ
まさにこの数年間を足尾に暮らしておりました。ますやのコロッケは美味しかったなあ。
1:40 ご想像の通り、役宅です。鉱山の事業所長・部長・課長クラスの社宅です。
2:36 駅構内で貨車の入替に使われていたガソリンカーですね。
5:09 メーデーではなく、山神祭の山車と思います。5:52 多分、三養会という鉱山の生協店舗跡と思われます。
11:34 本山小学校ですね。
わたらせ渓谷鉄道の開通式に足尾の祖父と電車に乗りました。当時小学生低学年でした。
足尾町の移り変わりをみて、もっと足尾のこと知りたいなと思いました。
今度足尾の祖母の家に遊びに行った時に、本山奥の方にも探検に行こうかな。
貴重な資料をありがとうございます。鉱山神社はいまはキレイなので、昔から大切に守られてきたのかと思っていました。一時期はほぼ荒廃状態だったんですね。
(栄枯盛衰)若い頃から,足尾銅山には興味があり,あらゆる書物を読みました。現地を訪れ散策致しました。繁栄当時,夏の,盆踊り祭りを,行政ではなく会社が行っていたことを,町を離れる時に,皆さんが知り,大変,驚ろかれたそうですね。(国敗れて山河あり...)思いが重なります...。
芦尾周辺の山も今はだいぶ緑が増えてきましたね。
昔は周りの山はつるっぱげでしたが。
足尾は探索しましたが、今もところどころ この動画の面影が残っていますね!
3年ほど前に神社行きましたが、鉄の鳥居が今でも立っていますが、祠は潰れそうな状態でした。
同県民として凄く興味深く拝見させて頂きました。
1980年代の足尾を見れてとっても嬉しい
足尾が好きで何度を足を運んでます
段々人も建物も減り寂しいですが足尾好きな町です
アップありがとうございます
0:50
四駆で松木沢に渓流釣りに行ったことがありました。今は関係者以外立ち入り禁止だそうです。
Gメン75で望月源治との決闘シーンの撮影に使われた。
古くは、荒涼とした松木の風景を「人間の条件」に使ったと聞きました。
また、旧国鉄足尾線は森繁久彌がC12の機関士をした「各駅停車」に使われましたね。森繁が来足したとき、町では大変な盛り上がりでした。
もっと前では、夏目漱石の「鉱夫」は足尾がモチーフだそうです。
素敵な作品を観させて頂きました。
市川組が創った横溝モノに出てくるような路地には 袴姿の名探偵が歩いていそうです。
彼には冬枯れの風景が似合います。
そして圧巻の鉱山住宅跡…。
平安の頃までは まだ火葬は少なく…亡くなった人は「野捨て」と云って ただ野に置かれ 土に還されたそうですね。
そこから「野辺送り」と云う言葉が生まれたようですが
まさに鉱山住宅跡は 暮らしそのものの野辺送りを観るようです。
秋の路傍の植物として ススキとセイタカアワダチソウが よく対比されますが
両方とも綺麗なんですよね…秋は。
ただ冬になると その差が歴然とするように思ってます。
セイタカアワダチソウが 鈍い灰色の綿毛をまとわり付けた茶褐色の茎を しおらせて行くのに対し
ススキは 冬どころか春になって翌年の芽吹きがあるまで あくまでも白く 凛として風に揺れています。
野辺送りに相応しい華のように思います。
46nogama様 美しい映像をありがとうございました。
この前、寂れた足尾銅山社宅を見てきましたが、この撮影時より住人は減っているようでした。
一つの時代を終えた町
やや不気味ささえ感じる町でした